『呪術廻戦』の主人公、虎杖悠仁。
ただの高校生に見える彼ですが、物語を読み進めると、彼の行動や名前、立ち位置には、仏教・日本神話のモチーフが組み込まれているのではないかと考えられます。
この記事では、虎杖悠仁の行動や名前、物語での立ち位置から、多層的なモチーフの可能性を整理して解説します。
※注意※
ここで紹介する内容はあくまで考察です。
虎杖悠仁が公式に「地蔵菩薩や弥勒菩薩がモチーフである」と明言されているわけではありません。
「こういう見方もあるんだな」と、読者の皆さんに楽しんでいただくことを目的としています。
宿儺の器=“依代”の象徴|日本神話とのつながり
『呪術廻戦』の主人公、虎杖悠仁といえば、両面宿儺という強力な呪霊の指を飲み込むという、衝撃的な始まり方をします。
この設定は、日本神話に登場する「依代(よりしろ)」の概念と考えることができます。
“依代”とは何か──神を宿す人間の意味
依代とは、神道や日本神話において、神を一時的に宿す器や役割のことです。
依代を通じて、神の力や意志がこの世に現れます。依代の例として次のような天照大神、ヤマタノオロチのエピソードがあります。
天照大神と天岩戸
太陽の女神・天照大神は、弟スサノオの乱暴に怒って天岩戸に隠れます。
困った神々は鏡を依代として使い、天照大神の力や意志をこの世に現そうとしました。
依代というのは必ずしも人間だけがなるものではなく、鏡なども依代として使われました。
天照大神については以下の記事も併せてどうぞ。
ヤマタノオロチ退治のスサノオ
ヤマタノオロチを退治する際、生贄を依代として儀式を行い、神の力を借りました。
神の力と人間世界をつなぐ「媒介」としての使い方です。
宿儺と虎杖の関係に見る“神と人”の構図
- 両面宿儺という荒神を宿す器
虎杖は自らの体で宿儺を受け入れ、暴走を抑えつつ力を活かします。 - 善悪・生死・呪いと人間の境界に立つ調停者
依代の役割は、神の力を媒介するだけでなく、世界の秩序や調和を維持する象徴です。
虎杖も宿儺と共存しながら、呪術界や人々を守ろうとします。 - 象徴的な役割の重なり
依代は単なる存在ではなく「神や荒神の力を現す役割」です。
虎杖も宿儺の依代として、物語上の象徴的役割を果たしていると考えられます。
日本神話の巫(かんなぎ)的な役割に近く、善悪の境界に立つ調停者として描かれています。
地蔵菩薩との共通点|他者の苦しみを背負う“慈悲”の象徴
虎杖悠仁は、他者の死や呪いを自分の体に引き受け、逃げずに向き合うキャラクターです。
これは、仏教でいう地蔵菩薩の“代受苦”の概念と重なります。
地蔵菩薩の役割と特徴
地蔵菩薩(じぞうぼさつ)は、仏教における菩薩のひとつで、特に地獄や苦しむ衆生を救う存在として信仰されています。
もともとの伝承では、地蔵菩薩は光目(こうもく)という少女だったとも言われています。
光目の母親は悪行を重ね、死後に地獄に落ちます。光目は母を救いたい一心で祈り、ついに「地獄に苦しむ者がいる限り、私は成仏しない」と誓い、菩薩となりました。
民間信仰では、子供や旅人、水子の守護としても広く親しまれています。
つまり、地蔵菩薩とは他者の苦しみを自ら背負い、救済を続ける慈悲の象徴であり、その起源には「愛する者を救うために苦を引き受ける少女」の物語があるのです。
虎杖の行動原理に通じる“他者救済”の思想
「光目が母を救うために誓った慈悲」と、虎杖が他人の苦を背負う姿には、物語的・象徴的な共通性があります。
悠仁は最後まで宿儺との共存を望み、祖父の遺言である「人を助けろ」を守り、正しい死を見届けることを使命としています。
他者の苦を引き受け、逃げずに向き合う姿勢は、まさに現代の地蔵菩薩といえるでしょう。
弥勒菩薩との共鳴|“未来への希望”を託された存在
弥勒菩薩が象徴する“未来救済”の教え
弥勒菩薩は、釈迦入滅後、56億7千万仏歳後(ものすっごい未来)に現れて「今、苦しむ人を救う!」と頑張っている存在です。
ただ、まだその目標は達成できておらず、「希望」「未来の救済」「慈悲」の象徴として信じられています。
呪術廻戦世界での“希望”の受け継ぎ方
虎杖悠仁にも、同じように未来の希望を象徴する側面があります。
今は全てを救えない存在
虎杖は、宿儺の力を宿すことで非常に強大な力を持っていますが、それでも世界のすべての呪いや苦しみを消せるわけではありません。
弥勒菩薩もまた、現世では完全に救済できず、未来にその力を発揮するとされています。
「今はまだ完全ではないけれど、希望を託されている存在」として、虎杖は弥勒菩薩的です。
苦しみを背負いながらも諦めない
虎杖悠仁は自分の命を危険に晒しても、他者を守ろうとします。
弥勒菩薩もまた、未来の衆生を救うために努力し続ける存在です。
苦しみを引き受ける「未来への希望の担い手」という共通点があります。
未来を託す存在としての役割
虎杖悠仁は、五条悟や禪院家の後の世代として、呪術界の未来を担う立場にあります。
弥勒菩薩もまた未来仏として、未来に平和をもたらす役割を持つ存在。
虎杖悠仁は「現世の救済(地蔵菩薩)」と「未来の希望(弥勒菩薩)」の両方を体現していると言えます。
これらのモチーフからくる虎杖悠仁の役割は、戦闘シーンからも垣間見えます。
代表的な場面は、真人とのバトルが挙げられます。真人の考察でも触れているので、ぜひ読んでみてください。
“虎杖悠仁”という名前に込められた意味
“虎杖”の植物的意味と象徴
虎杖は実在する植物で、踏まれても折れず再生することから、「苦を受けて強くなる存在」「復活・再生」の象徴と考えられます。

この植物は薬用にも用いられ、民間療法で「痛取り」と呼ばれ、「他者の苦を代わりに受ける」という象徴としても解釈できます。
“悠仁”という名に込められた祈りと哲学
名前にはそれぞれ意味があります。「悠」は永遠、広大な時間、「仁」は慈悲、人間愛(儒教・仏教)を表します。
「永遠に他者を救う慈悲の存在」と解釈でき、名前自体が菩薩的・慈悲的性格を象徴しています。
まとめ|依代・地蔵・弥勒が示す“現代の菩薩”像
虎杖悠仁は、単なる高校生ではなく、多層的なモチーフを持つキャラクターです。
日本神話の依代として荒神の力を受け入れ、地蔵菩薩的に他者の苦を背負い、弥勒菩薩的に未来への希望を象徴します。名前や行動からも慈悲や復活の象徴性が感じられ、物語の中で現世と未来をつなぐ存在として描かれています。
ここで紹介した内容は考察ですので真偽はわかりません。
ただ、こうした視点で読み解くことで、呪術廻戦をより楽しんでいただけたら嬉しいです。
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