『呪術廻戦』における「死滅回游」は、16巻 第137話 「堅白」からはじまる、渋谷事変に続く第二の大転換点。
「渋谷事変」が始まった当初は、「きっと最後の最後で五条先生が復活して、敵をボッコボコにするんでしょ〜」と思っていました…
ところがまさかの東京23区壊滅!
五条先生、引き続き封印されてるし‼︎
しかも謎のデスゲーム的なルールできてる⁉︎
話どこに向かっていくんだろうかとハラハラしました。
物語の流れを俯瞰して見てみると、
五条悟という“神”が封印され、秩序が崩壊した世界で、人類は“新しい創世”を迎える準備をさせられています。
渋谷事変(破壊)→ 死滅回游(再生)という構造に変わり、
物語は「人間 vs 呪霊」→「創造主 vs 被造物」へと拡張しました。
そしてその試練を仕組んだのは、神に最も近い存在――羂索(けんじゃく)。
この記事では、「死滅回游」を“神のいない世界での選別・試練”として読み解くことで、
“呪い”から“創造”へと向かう物語の構造を紐解いていきます。
死滅回游とは ― 世界再構築の儀式
死滅回游とは、人類の魂を“再構築”するための儀式です。
「破壊」と「再生」が常にセットで語られている通り、
「死滅」は「破壊」だけでなく、「再生」も含んでいます。
羂索によって張り巡らされたこの呪術システムは、単なる殺し合いではなく、“世界のアップデート装置”。
死滅回游のプレイヤーたちは、“人間の限界”を超えさせられる存在たちです。
五条という神が死に、羂索という“創造主”が世界を再定義しているのです。
羂索 ― 創造主(デミウルゴス)としての神
なぜ死滅回游が「破壊」と「再生」の物語といえるのか?
それは、この死滅回游を引き起こしたのが羂索だからです。
人類を高次元のレベルに引き上げたい、それがどうなるのか見てみたい。
羂索は、善悪を超えた存在です。
彼は呪術師でも呪霊でもなく、“魂”そのものを支配する者。
人間の魂を転生させ、肉体を繋ぎ合わせ、歴史を操作する。
その行為はまるで“神の創造ごっこ”。
しかし、その目的は秩序ではなく“混沌の再生”。
つまり、羂索は「旧世界を壊し、新世界を創る」神的存在――デミウルゴス(造物主)の再解釈なのです。
デミウルゴスは、神話や哲学(グノーシス思想)に登場する“偽物の神”。
羂索とデミウルゴスについての解説はこちらの記事で考察しています。こちらを読むと、さらに理解が深まります。
プレイヤーたち ― “新しい人間”たちの系譜
死滅回游に参加する術師たちは、いずれも“人間の可能性”を象徴しています。
- 秤金次:確率と運命を支配する“確率論の神”
- 乙骨憂太:愛を呪力に変える“自己犠牲の預言者”
- 鹿紫雲一:死に飢える“戦争の神”
- 虎杖悠仁:呪いと人間の融合体、“新しい生命体”
彼らは、それぞれ異なる進化の形を示しながら、
“人間とは何か”という問いに対して異なる答えを提示していきます。
死滅回游の構造 ― 神話的モチーフの再生
死滅回游の構造は、神話における「輪廻」「再生」「淘汰」の象徴です。
- 結界 → 世界の胎内(母性・再誕の空間)
- プレイヤー → 新しい生命の種
- ポイント・ルール → 神の意志/運命の法則
つまり、死滅回游とは「人間が神に試される場」であり、
同時に「神が自らの創造を見つめ直す実験場」でもあるのです。
古代より語り継がれてきた神話が、『呪術廻戦』によって現代版“神話儀式”として表現されていると解釈できます。
虎杖悠仁と“新しい創世記” ― 神なき時代の創造主
渋谷事変ののち、『呪術廻戦』の物語は大きく変化します。
五条悟という“神”が封印され、
羂索や真人といった“偽の神”が滅びたあと、残されたのはただの“人間”たちでした。
その中心に立つのが、虎杖悠仁です。
神のいない世界で生きるということ
五条悟は呪術界の“絶対的な秩序”。
これまで五条が存在することで保たれていた倫理や正義は崩れ去り、虎杖たちは「神なき世界」でどう生きるかを問われるようになりました。
言い換えれば、渋谷事変以降の物語は、“神の死後の時代”における人間たちの再出発です。
虎杖たちは、もはや誰かの教えや秩序に頼らず、自分の意志で善悪を選び取らなければならないのです。
虎杖という存在 ― 呪いと人間の融合体
虎杖悠仁は、人間でありながら宿儺という“古代の神・呪い”をその身に宿しています。
つまり彼自身が、「神(呪い)」と「人間」の中間に立つ存在です。
宿儺は破壊の象徴、虎杖は人間の希望。
二つの相反する力が共存する彼の存在こそ、“新しい生命の形”=人と呪いの調和を意味しています。
虎杖は、古い世界(神の秩序)と新しい世界(人の倫理)をつなぐ“橋”として描かれているのです。
新しい創世記 ― 人間が世界を創る時代へ
『創世記』とは、本来“神が世界を創る物語”です。
たとえば、
- 聖書では「光あれ(Let there be light)」という神の言葉が世界を創りました。
- 日本神話では、イザナキとイザナミは言葉と儀式で国を生みました。
しかし、『呪術廻戦』ではその構図が反転します。
神が消えたあとの世界を創るのは、人間たち自身です。
神がいなくなったあと、誰が新しい秩序を作るのか。
それが、虎杖悠仁という“人間の創造主”の使命です。
虎杖悠仁は「誰かを救いたい」という強い意志を持っています。
でもそれは単なる“善人の願い”ではなく、
神でも呪いでもない“人間の愛”による救済なんです。
五条悟のような絶対的な正義でもなく、
両面宿儺のような力の支配でもない。
その中間、つまり人間の選択と責任を体現しているのが虎杖悠仁。
その姿こそが、“新しい創世記”の始まりなのです。
虎杖悠仁の「救い」については、地蔵菩薩や弥勒菩薩との関連性について考察しています。こちらも合わせて読んでみてください。
関連記事 -> 『呪術廻戦』考察#1|虎杖悠仁は“現代の菩薩”?依代・地蔵・弥勒が示す隠された意味 (Jujutsu Kaisen Analysis: Yuji Itadori’s Buddhist Motifs)
まとめ ― “神の死”の次にくるもの
渋谷事変で「神」が死に、
死滅回游で「新しい神」が選ばれる。
それは、呪術廻戦という物語が、
“終末”から“創世”へと進化する過程です。
「呪い」とは、「神の呪い」でもあり、「人間の可能性」でもある。
死滅回游とは、呪いを超えて“新しい生命”を創るための試練――
すなわち、“人間による神の再創造”の物語なのです。
⚠️注意
この記事で紹介している内容はあくまで考察です。
死滅回游に関する元ネタが明言されているわけではありません。
ただ、こうした視点で読み解くことで、『呪術廻戦』をより楽しんでいただけたら嬉しいです。



