『呪術廻戦』の渋谷事変編は、10巻 第83話「渋谷事変①」から始まる、大きな転換点です。
五条悟が封印され、呪霊と人間の境界が崩壊していく中で、
最も深く変化した人物が――虎杖悠仁です。
『呪術廻戦』を読み返すたびに、渋谷事変は虎杖悠仁にとって苦難の章だと感じます。
何度も追い打ちをかけられ、苦しみを負わされる場面が続きます。
物語として、主人公の役割を明確にさせるために描かれている章だと実感します。
宿儺に体を奪われ、無関係な人々が大量に殺される。
その罪と絶望を背負った虎杖は、もはや“普通の少年”ではいられません。
しかし、その苦しみの果てに、彼は“菩薩”のような境地へと歩み出すのです。
本記事では、渋谷事変における虎杖悠仁を
地蔵菩薩(苦しみを背負う救済者)、
弥勒菩薩(未来の救済者)
という二つの宗教的象徴から読み解きます。
宿儺による殺戮 ― “罪を背負う少年”の誕生
虎杖悠仁が渋谷事変で大きく変化したのは、渋谷事変の中盤からです。
渋谷事変の中盤、虎杖の体を奪った宿儺が一瞬で数百人の命を奪う。
この出来事は、虎杖が何とか保っていた心を折るには十分すぎるほどの衝撃でした。
“自分の手で人を殺した”に等しい現実。
たとえ自分の意思ではなくても、その結果を否定することはできません。
心が崩壊し、立つこともできないほどの罪悪感。
虎杖は傷つく心を押し殺し、気丈に振る舞いながら、なんとか戦います。
しかし、追い討ちをかけるように七海建人を目の前で殺され、
さらに釘崎野薔薇までもが真人の手にかかります。
それでも、虎杖は“死”を選びませんでした。
彼は「生き続ける」ことを、自らへの罰として選んだのです。
この瞬間、虎杖悠仁は“罪を背負う者”――
つまり、地蔵菩薩的な存在へと変わり始めます。
苦悩を抱き、なお他者を救う ― 地蔵菩薩の慈悲
地蔵菩薩とは、地獄に堕ちた魂を見捨てず、
自らその地獄に降り立って救おうとする菩薩です。
虎杖もまた、自らが「地獄」と化した渋谷に残り続けました。
宿儺によって無残に壊された街、その中で苦しむ人々を前に、
虎杖は逃げることも、許しを乞うこともしません。
- 責められても受け入れる
- 敵であっても必要なら救おうとする
- 自分を罰しながら、それでも人を助ける
彼は「苦界に身を置く者」として、
人間の痛みを背負いながら戦い続けます。
この姿はまさに、地蔵菩薩の化身。
人の苦しみを自らの中に引き受けることで、
他者の苦を軽くしようとする――その在り方です。
絶望の底で見出した希望 ― 弥勒菩薩の原型
宿儺の罪を背負い、何もかも失った後、
虎杖の中には、それでもなお“前へ進む”という意志が芽生えます。
「俺は……それでも前に進む」
この言葉に込められたのは、過去への贖罪ではなく、未来への希望です。
弥勒菩薩は、釈迦が去った後の荒廃した世界に再び現れ、
人々を救う“未来仏”として描かれます。
渋谷事変後の虎杖はまさにその姿。
神(五条悟)を失い、秩序が崩壊した世界で、
“人間としての希望”をもう一度灯す存在となります。
- 絶望の中で他者を救おうとする
- 過去の罪に囚われず、未来へと進む
- 呪いを糧にして、再生の道を選ぶ
虎杖の中にある“宿儺”は、もはや敵ではありません。
それは「人が抱える呪い」と「成長のための苦痛」を象徴しており、
それを内包したまま生きることが、虎杖の進化なのです。
虎杖悠仁のモチーフである地蔵菩薩や弥勒菩薩については、こちらの記事も読んでみてください。
関連記事 -> 『呪術廻戦』考察#1|虎杖悠仁は“現代の菩薩”?依代・地蔵・弥勒が示す隠された意味 (Jujutsu Kaisen Analysis: Yuji Itadori’s Buddhist Motifs)
渋谷事変は“地獄”であり、“再生の胎動”
渋谷事変は、『呪術廻戦』という物語の中で
“地獄の底”にあたる章です。
五条悟は封印され、七海は散り、釘崎は倒れる。
虎杖は自分の存在意義を見失い、全てが終わったかのように見えます。
しかし、物語的にはここが「再生のための破壊」の瞬間なのです。
虎杖が“地蔵”として苦しみを引き受け、“弥勒”として未来を見据える。
その過程を経ることで、呪術の世界は“人間中心”へと変わっていきます。
死滅回游での彼の姿は、その延長線上にあります。
“神なき世界での人間の創世”――
それが、虎杖悠仁というキャラクターの根幹です。
まとめ ― “地蔵”から“弥勒”へ、虎杖悠仁の成長譚
虎杖悠仁の歩みは、
「罪の受容」から「再生の予兆」へと移行していきます。
彼はもはや“救われる側”ではなく、
“救う側”――人間の可能性そのものとなったのです。
渋谷事変は悲劇でありながら、
虎杖が菩薩へと“覚醒”する儀式でもありました。
それは、呪いの時代が終わり、
“人間の慈悲”が世界を再構築する物語の始まりでもあります。
⚠️注意
この記事で紹介している内容はあくまで考察です。
渋谷事変や虎杖悠仁に関する元ネタが明言されているわけではありません。
ただ、こうした視点で読み解くことで、『呪術廻戦』をより楽しんでいただけたら嬉しいです。
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