『呪術廻戦』考察#21|釘崎×伏黒×虎杖 ― 渋谷事変で”誰が何を失い、何を得たか” (Jujutsu Kaisen Analysis: Kugisaki, Fushiguro & Itadori — Gains and Losses in the Shibuya Incident)

呪術廻戦(Jujutsu Kaisen)

『呪術廻戦』10巻 第83話「渋谷事変①」から始まる渋谷事変は、虎杖悠仁、伏黒恵、釘崎野薔薇が、それぞれ異なる形で「喪失」と「獲得」を経験する章です。

五条悟という絶対者が封印され、倫理も秩序も保証されない“神のいない世界”で、三人は初めて「どう生きるのか」を選択することを強いられます。

その姿は、神話的にも哲学的にも「大きな物語の崩壊後、人間が自ら価値を作り直す瞬間」に重なります。

ここでは、三人が渋谷事変で何を失い、何を得たのか――その価値観の交差を紐解いていきます。

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釘崎野薔薇 ― “自性”を証明し、己として立つことを得た

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釘崎野薔薇が渋谷で失ったものは「生命の保証」です。

これまでは、五条悟の存在や仲間の支えによって「最悪でも死なないだろう」という暗黙の安心感がありました。しかし渋谷ではそれが完全に消えます。

その代わり得たものは、“魂を貫いて立つ覚悟”でした。

釘崎は、他者の価値基準でも秩序でもなく、「私は私だ」という純粋な自性で生きようとする人物です。渋谷事変はまさに、守ってくれる秩序(五条)も保証もない世界でした。だからこそ、釘崎は最も釘崎らしく輝きます。

14巻 第122話「渋谷事変㊵」から始まる真人との戦いでは、釘崎野薔薇の生き抜く姿勢が描かれます。

  • 痛みを引き受けても美学を曲げない
  • 正しさではなく“自分として格好良い”選択をする
  • 火中に飛び込み真実を証明した木花咲耶姫のように、“命を賭して自性を貫く”

釘崎が失ったものは「未来」であり、得たものは“完成した自分”そのものでした。

関連記事 -> 『呪術廻戦』考察#20|渋谷事変×釘崎野薔薇 ― “自性”が燃え上がる瞬間と木花咲耶姫の影 (Jujutsu Kaisen Analysis: Nobara Kugisaki and the Myth of Blossoming in Flames)

伏黒恵 ― 秩序を創造しようとする“主体性”を得た

伏黒恵が渋谷で失ったものは「受動性」であり、得たものは“世界を形づくろうとする主体性”でした。

伏黒恵はこれまで、受動的なキャラクターでした。

「正しいことだからやる」「誰かを助けるためなら動く」という“条件反射型の正義”で動いていました。

しかし五条悟が封印された瞬間、それらはすべて崩れ落ちます。

そこで伏黒が得たものは、“世界をどう形づくりたいのか”という自分の意思です。

  • 規範の代わりに“自分の判断”で動く
  • 世界の形を変える決断(八握剣異戒神将魔虚羅の召喚)を下す
  • 喪失の中で、初めて「自分が世界を作る側」に立つ

その瞬間が描かれたのが14巻117話「渋谷事変㉟」。度重なる戦闘の末、不意を突かれて攻撃を受けます。近づいてくる死を前に、かつての五条悟とも差し違える力を持つ魔虚羅を召喚することで状況を変えようとします。

これはまさに「創造神(イザナキ)的主体性」。伏黒は渋谷で初めて、

  • 自分の判断で
  • 自分の意志で
  • 世界の形そのものに介入しようとした

つまり「受動の少年」から「創造する者」へ進化したのです。

関連記事 -> 『呪術廻戦』考察#18|伏黒恵と渋谷事変 ― “イザナキ神話”に見る影と再生の物語 (Jujutsu Kaisen Analysis: Megumi Fushiguro — Shibuya Shadows and Rebirth)

虎杖悠仁 ― “人間としての覚悟”と“痛みの引受け”を得た

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虎杖悠仁が渋谷で失ったものは「無垢さ」であり、得たものは“人間としての覚悟”でした。

虎杖のモチーフは地蔵菩薩(現世の苦を引き受けて救う)と弥勒菩薩(未来の救いを約束する慈悲)です。渋谷では、これが最も濃く立ち現れます。

その姿が描かれるのは15巻127話「渋谷事変㊹」。七海建人が殺され、釘崎野薔薇も倒され、絶望の淵に立たされる虎杖悠仁。しかし、その絶望すらも超えて立ち上がります。

  • 自分が殺した人々の罪を受け止める
  • “救えなかった痛み”を逃げずに抱えて進む
  • 仲間の死を前に、絶望しながらも“それでも人を救いたい”と選び直す

虎杖は、もはや無邪気な少年ではありません。しかし、失われた無垢さの代わりに得たのは、「痛みを背負った上で、それでも人のために立つ」という成熟した人間性でした。

地蔵菩薩が「地獄に落ちた者の苦を代わりに負う」ように、虎杖は渋谷で人間の痛みと罪を自ら引き受ける存在へと変貌します。

関連記事 -> 『呪術廻戦』考察#17|虎杖悠仁と渋谷事変を読み解く ― “地蔵菩薩”と“弥勒菩薩”が象徴する成長と再生 (Jujutsu Kaisen Analysis: Yuji Itadori and the Shibuya Incident — Growth and Rebirth in Buddhist Symbolism)

渋谷事変まとめ ―三人の価値観はどこで交わるのか

“神のいない世界で、何を拠り所に立つか”。

渋谷事変は、三人にとって共通して「拠り所を失う出来事」でした。

  • 釘崎 → 価値の保証を失い、自性そのものを得る
  • 伏黒 → 正しさの代弁者(五条)を失い、主体性を得る
  • 虎杖 → 無垢さを失い、人としての覚悟と慈悲を得る

つまり三人は、絶対者(五条悟)がいない世界でどう立つかという問いに、それぞれ違う答えを出したのです。

その三つの答えは、哲学的にはニーチェの“神の死”以後、人間が自ら価値を創造する構造と重なります。

  • 自分として生きる(釘崎)
  • 自分の判断で世界を形づくる(伏黒)
  • 他者の痛みを背負って歩く(虎杖)

渋谷事変は、三人が「人はどう生きるべきか?」という普遍的テーマに、それぞれの形で応答した章だったのです。

⚠️注意
この記事で紹介している内容はあくまで考察です。
渋谷事変に関する元ネタが明言されているわけではありません。
ただ、こうした視点で読み解くことで、『呪術廻戦』をより楽しんでいただけたら嬉しいです。

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