『呪術廻戦』考察#5|釘崎野薔薇のモチーフは木花咲耶姫?生き様と神話を考察 (Jujutsu Kaisen Analysis: Kugisaki Nobara’s Mythological Motif)

呪術廻戦(Jujutsu Kaisen)

釘崎野薔薇は、呪術師である以前に、「自分として生きる」ことを何よりも大切にしているキャラクターです。

これまで取り上げてきた虎杖悠仁や伏黒恵と比べると、釘崎野薔薇は、なんだかとっても”人間っぽい”。

この記事では、野薔薇の「人間っぽさ」、「呪いを返す力」、「生と死の美学」について掘り下げていこうと思います。

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自分として生きる ― 野薔薇が嫌った“呪い”

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釘崎野薔薇が都会に出てきた理由は、
「田舎の閉鎖的な風習」から逃げるためでした。

「田舎が嫌いなんじゃない。田舎の“同調圧力”が嫌いなの。」

この言葉からも、“他人の目に縛られて生きる”ことこそが「呪い」であるという価値観を持つことが伺えます。

『呪術廻戦』における“呪い”は、社会が作り出す負の感情が形になったもの。

田舎の慣習や狭い価値観、他者を排除する性質を呪いとして捉えていたのかもしれません。

野薔薇はその「見えない呪い」を打ち破る存在。
“私が私である”ことを貫く姿勢は、まさに呪いへの反逆です。

釘崎野薔薇の術式「共鳴り」に込められた意味

釘崎の術式「共鳴り」は、一見オーソドックスな藁人形の呪いをベースとした技です。

相手の肉体や呪物に自分の血や釘を媒介して、“呪いを返す”技。

それを釘崎野薔薇のような呪を打ち破る存在が使うことで、メッセージ性を帯びてきます。

痛みを与えられたなら、同じだけ返す。

この構造は、彼女の思想そのものです。
他者から押し付けられた痛み(呪い)を、自分の意思で制御し、相手へ返す=負の連鎖を断ち切る。

つまり「共鳴り」は、呪いの力を一度受けた上で変換する術。
それは、“痛みも怒りも、自分の力として受け入れる”という野薔薇のあり方が呪術として形になっています。

釘崎野薔薇のモチーフは木花咲耶姫?

これまで虎杖悠仁や伏黒恵のモチーフについて考察をしてきました。

  • 虎杖悠仁:地蔵菩薩、弥勒菩薩
  • 伏黒恵:イザナキ

虎杖悠仁、伏黒恵のモチーフに関してはこちらの記事もどうぞ。

関連記事 -> 『呪術廻戦』考察#1|虎杖悠仁は“現代の菩薩”?依代・地蔵・弥勒が示す隠された意味 (Jujutsu Kaisen Analysis: Yuji Itadori’s Buddhist Motifs)

関連記事 -> 『呪術廻戦』考察#4|伏黒恵と十種影法術 ― 影に宿る死と再生の神話 (Jujutsu Kaisen Analysis: Megumi Fushiguro and Ten Shadows Technique)

では、釘崎野薔薇は?

“燃えて咲く”“人間らしさ”という点で、釘崎の生き様と重なるのが木花咲耶姫です。

ここでは、木花咲耶姫がモチーフであるという線で話を進めます。

木花咲耶姫は「地上の神」であり、“人間に最も近い神”。

木花咲耶姫は、山の神である大山津見神の娘であり、天孫ニニギの妻となった女神です。

山の神なので地上で暮らしていたのですが、ある日、天から地上に降りてきたニニギノミコトに一目惚れされて結婚します。

しかし、結婚して速攻で身籠ったため、「本当に俺の子か?」と旦那に疑われてしまいます。

彼女は「自分の子が神の子であること」を証明するため、燃え盛る産屋の中で出産し、自らの潔白を示しました。

ここで着目するのは、人間としての苦しみ方を選ぶところ。

神様的な、なんでもあり万能な発想ではなくて、火を脅威として感じている”人間的な”苦しみを選んで、身の潔白を証明しようとします。

また、木花咲耶姫の子供たちは神ではなく人間として生まれます。
彼女の代から、日本は神さまだけの国ではなく人間の国として発展していきます。

「命を燃やして咲き誇る花」

木花咲耶姫は、“咲いて散る命の象徴”として、日本神話における“人間らしさの始まり”を体現します。

釘崎野薔薇の戦い方、そしてその生き様も同じです。

「私が死ぬときは、“私”として死ぬ。」

野薔薇は、命の儚さを知りながらも、それを恐れず生きる存在です。

木花咲耶姫についてはこちらの記事も併せてどうぞ。

関連記事 -> 元ネタ解説#3 木花咲耶姫 | 『鬼灯の冷徹』『灰仭巫覡』でネタを楽しむ (Reference Analysis: Konohanasakuya-hime in Hozuki’s Coolheadedness)

田舎の風習=“古い信仰”からの脱却

釘崎野薔薇が嫌った“田舎の風習”は、単なる地域性ではなく、「女性はこうあるべき」という呪いの象徴として描かれています。

村社会=古い信仰・しきたり・“従属的な女性像”

だから野薔薇の“都会に出る”という行為は、
「古代的な女性像(信仰)」から脱出するものです。

木花咲耶姫もまた、神様社会の中で縛られる存在でした。

夫は神様の中でも、超エリート天照大神の孫です。
父は超エリートの孫が来たもんだから、娘を2人も差し出す始末。
木花咲耶姫の美しさも、神様たちの権威の象徴としての”機能”として利用されています。

そんななか、身の潔白を証明するために、自分で手段を選んで、まさかの火の中で出産を選ぶ。

自分で手段を選び、生き方を決めていく強さを感じます。

“釘”と“薔薇”の名に潜む意味

「釘崎野薔薇」という名前には、神話的にも心理的にも“痛みを超える再生”のモチーフが隠れています。

  • 釘(くぎ):固定・封印・呪い。
     → 村の“固定された価値観”を象徴。
  • 薔薇(ばら):咲き誇りながらも棘を持つ花。
     → 自分を守りながら、美しく咲く力。

つまり、「釘で縛られる存在」から「棘で戦う存在」へ。
これはまさに、“呪われた女性”が“自立した花の女神”へと変わる構図なんです。

まとめ ― 釘崎野薔薇は“人間の尊厳”そのもの

釘崎野薔薇は、『呪術廻戦』という“呪い”の物語の中で、「人として生きることの強さ」と「美しく散ることの誇り」を体現しています。

彼女の術式は痛みを返し、苦しみを力に変える。

その姿はまるで、木花咲耶姫が火の中で命を産み落としたように、恐れを超えて“自分の生”を選び取る女性の象徴です。

※※注意※※
この記事で紹介している内容はあくまで考察です。
釘崎野薔薇のモチーフに関する元ネタが明言されているわけではありません。
「こういう見方もあるんだな」と楽しんでいただくことを目的としています。

関連記事 -> 『呪術廻戦』作品紹介|読むほどに深まる戦闘とキャラクターの魅力 (Jujutsu Kaisen: Engaging Battles and Character Appeal)

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