『呪術廻戦』を語る上で欠かせない存在――それが“両面宿儺(りょうめんすくな)”。
圧倒的な強さと残酷さを誇る「呪いの王」として描かれますが、その名は日本最古の歴史書『日本書紀』にも登場します。
実は、宿儺は古代日本で中央政権に背いた異形の英雄として記され、地方では「守護神」として祀られてきた存在なのです。
この記事では、
- 日本書紀における両面宿儺の実像 仁徳天皇との衝突と地方での信仰
- 『呪術廻戦』の藤原・菅原とのつながり 虎杖悠仁との神話的な関係性
これらを通して、両面宿儺というキャラクターの“善と悪、破壊と救済の二面性”を神話的に読み解いていきます。
この記事で両面宿儺のモチーフ、神話的な役割がわかったあとは、「死滅回游」編における面宿儺の役割についても読んでみてください。『呪術廻戦』の作品全体のテーマと両面宿儺の重要性がより理解できるはずです。
両面宿儺のモチーフ
『呪術廻戦』の両面宿儺は、『日本書紀』に登場する両面宿儺がモチーフだと考えられます。
身体的特徴も次のように描かれています。
- 体は1つだが顔が2つある。頭頂部でくっついていてうなじがない
- 手足も4本ずつあり、膝の裏や踵(かかと)がない
また、身体能力についても次のように語られています。
- 力が強い
- 俊敏
- 4本の手に2振りの剣と2張りの弓矢を使った
参考:飛騨・高山観光公式サイト
『呪術廻戦』では、その容姿や強さが忠実に再現されています。
ざっくり説明すると、宿儺は「お上(天皇)に歯向かい、略奪などの悪事を働いたために討伐された人物」です。
中央政権との衝突
宿儺の物語は仁徳天皇65年(5世紀前半ごろと推定)が舞台です。
この頃の日本はまだ統一されておらず、地方に多くの国が存在していました。
仁徳天皇率いる中央政府は「日本をひとつの国にしよう」と、地方の力のある国々を支配下に置こうと勢力を広げていました。
しかし、それぞれの地方には独自の宗教や生活スタイルがあり、それを脅かす中央政府への反発が続きました。
そのような地方のひとつが飛騨国(今の岐阜県北部)であり、ここが宿儺の故郷でもあります。
この地域はまだ中央の支配が十分に及んでいませんでした。
宿儺の故郷では英雄
中央政府から見れば宿儺は、王に従わない「逆賊」として討伐された人物です。
しかし一方で、宿儺は飛騨地方では英雄的存在として語り継がれています。
- 仏教を広めた人物
- 寺を建てて民を守った人物
- 鬼や龍を退治し、農業や開拓を導いた英雄
地方伝承では恐怖の存在ではなく、民を救う守護神として信仰されました。
この二面性こそが「両面宿儺」という名に象徴されています。
破壊と守護、二つの顔を持つ荒神(もともとは荒々しいが人を助ける神)として語られています。
呪術廻戦に出てくる「藤原」と「菅原」
『呪術廻戦』では、「藤原の血を引いている」や「菅原の方」といった言葉が登場しますが、その意味は深く掘り下げられていません。
ざっくり言うと、どちらも中央政権の中枢を担った貴族の一族です。
藤原家は政治を支配した名門、一方の菅原家は学問の家系として知られています。
両家は互いに競い合いながらも、それぞれ天皇から信頼を受けていました。
しかし、菅原家は藤原家の策略によって左遷され、その後に雷や疫病が相次いだことから「祟り」と恐れられ、やがて天満天神(学問の神様)として祀られるようになりました。
このような歴史的背景を知っていると、『呪術廻戦』の中の何気ないセリフや設定にも深みを感じられます。
こうした小ネタが自然に織り込まれているのが、呪術廻戦らしい魅力ですね。
虎杖悠仁と両面宿儺の関係性
虎杖悠仁と両面宿儺の関係を一言で言うと、「二面性の共存」です。
虎杖は人間としての純粋な善性と他者への慈悲を持つ少年。
一方の宿儺は、人間を殺すことを楽しむ悪と破壊の象徴。
にもかかわらず、虎杖は宿儺の“器(うつわ)”となり、彼を体内に宿すことで共存を強いられます。
これはまさに、善と悪・人と呪いが同居する存在であり、「人間の中にある闇」を体現しています。
虎杖悠仁は、宿儺という呪いを通して“人間とは何か”を問う存在なのです。
「依代と荒神」― 日本神話的な関係
日本神話では、神や荒ぶる存在が「依代(よりしろ)」に宿ることでこの世に現れます。
たとえば鏡や岩、人間が神の力の媒介になるように、虎杖も宿儺という荒神の依代となっています。
この関係は非常に神話的で、次のように整理できます。
- 宿儺(荒神)=破壊・混沌・自然の力
- 虎杖(依代)=人間の理性・秩序・慈悲
両者が一つの体に共存することで、「人間がどこまで呪いを受け入れられるか」というテーマが描かれています。
神話的に見ると…
両面宿儺は『日本書紀』に登場する「二つの顔と四本の腕を持つ怪人」で、中央政権(ヤマト王権)と敵対した存在です。
しかし、地方では英雄・守護神として信仰されました。
この構図は『呪術廻戦』にも反映されています。
宿儺は呪術界(秩序側)からは危険な存在とされながらも、その圧倒的な力ゆえに恐れと敬意を集める。
そして虎杖はその力を体内に宿し、秩序と混沌の橋渡し役となる。
まさに「人間(依代)」と「神(荒神)」の関係を現代的に描いた構造です。
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まとめ
『呪術廻戦』における両面宿儺は、単なる悪ではありません。
『日本書紀』で「中央政府に背いた異形」とされた彼が、地方では「守護神」として祀られたように、その存在は常に善と悪の間に立っています。
虎杖悠仁という依代を通して、宿儺は人の心の奥にある「破壊」と「救済」の両方を映し出す。
それは、誰の中にもある二面性へのまなざしでもあります。
呪いと慈悲、秩序と混沌。
その狭間に生きるからこそ、人は葛藤し、成長し、祈る。
両面宿儺とは――人が抱く光と闇の象徴であり、
『呪術廻戦』という物語そのものの鏡なのかもしれません。
注釈
この記事は『呪術廻戦』の公式設定を示すものではなく、神話・歴史・宗教的モチーフに基づくファン考察です。
「そういう見方もあるんだな」と楽しんでいただければ幸いです。
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