今回は蜘蛛の糸、カンダタについて解説をしていきます。
『蜘蛛の糸』はなんとなく知っている人も多いと思いますが、もともとなんの話だったか思い出せない方も多いかと思います。
『蜘蛛の糸』は芥川龍之介の短編で、地獄に落ちた悪人・カンダタの物語です。
この記事では『蜘蛛の糸』のあらすじと、仏教的な解釈について解説していこうと思います。
蜘蛛の糸のあらすじ
カンダタは生前、盗みや暴力など数々の悪事を重ねた悪人でした。しかし、ある日、偶然にも一匹の蜘蛛を助けたことがありました。その小さな善行だけが、カンダタの唯一の光でした。
地獄の暗闇の中、カンダタは一本の糸を見つけます。それは、仏さまが彼を救おうと差し伸べた蜘蛛の糸でした。仏さまは、蜘蛛を助けたカンダタの心にわずかに残る善い心を見い出し、救済のチャンスを与えようとしました。
「この糸を辿り、自らの心を慎めば、まだ救いはある」と仏さまは静かに見守ります。
希望に胸を躍らせ、カンダタは必死に糸を登り始めます。糸は天まで続くかのように思えました。
しかし、登る途中で他の罪人たちが群がり、後ろから迫ってくるのを見て、カンダタの心に焦りと独占欲が芽生えます。
「この糸は自分だけのものだ」と、欲に駆られて後ろの者を押しのけようとします。
その瞬間、蜘蛛の糸はぷつりと切れ、カンダタは再び地獄の底へ落ちてしまいます。
仏さまは悲しげにその姿を見守った後、何も言わず静かに立ち去ります。救済は心のあり方にかかっていることを、そっと示すかのように。
カンダタの心の状態と六道輪廻
カンダタのこの物語は、仏教の視点でも心理学の視点でもいろんな解釈ができます。
ここではカンダタの心理状態六道輪廻に絡めてひとつの解釈をご紹介します。六道輪廻についてかじっておくと、様々なマンガや映画を楽しめるようになります。
六道輪廻とは
六道輪廻とは、ざっくりと生まれ変わりのことです。
仏教では生まれ変わる先が6つあり、それぞれの世界をぐるぐる生まれ変わって、最後はその輪廻から外れた悟りの世界(天国)に行けると考えられています。
- 天道(てんどう):神や天人が住む幸福な世界。善行の報いとして生まれる。
- 人道(じんどう):人間としての生活を送る道。修行や悟りのチャンスがある。
- 修羅道(しゅらどう):争いや戦いが絶えない世界。嫉妬や怒りが原因で生まれる。
- 畜生道(ちくしょうどう):動物として本能に支配される世界。無知や欲望が原因。
- 餓鬼道(がきどう):常に飢えや渇きに苦しむ世界。強欲や貪欲の報い。
- 地獄道(じごくどう):想像を絶する苦しみの世界。悪行の報いとして生まれる。
六道輪廻について楽しく学びたい方は、工藤勘九郎監督のTOO YOUNG TO DIEがオススメ。私の大好きな映画です。

カンダタの心理状態と六道輪廻の関係
地獄道にいたカンダタが糸に引き上げられている間、彼の心理状態は目まぐるしく変わっていきます。
糸に引き上げられる先は悟りの世界(天国)。つまり、カンダタは地獄から天国に行く道を辿っていくわけです。
天国に行くまでには、六道輪廻の各々の世界を巡ります。カンダタは糸に引き上げられている間に六道輪廻を巡るような心理を味わうことになります。
仏教的に読む『蜘蛛の糸』― 六道輪廻としてのカンダタ
物語を“カンダタの心の変化”で追うと、彼は糸を登る間に、六つの世界(六道)を巡っています。
地獄道 ― 苦しみの自覚
物語の冒頭、地獄の底でカンダタは業火に焼かれ、もがき苦しんでいます。ここは自らの悪業を直視する世界です。
仏教では、地獄とは「外の場所」ではなく「心の状態」。罪を自覚する苦しみが、地獄道のはじまりです。
畜生道 ― 本能と生存欲の心
お釈迦様が糸を垂らしたとき、カンダタは反射的にそれに飛びつきます。理屈ではなく、“助かりたい”という本能的な行動。
これはまさに畜生道(本能・愚かさ・無明)の心です。仏教では、理性を失い「欲や恐怖だけで動く」状態を畜生道と呼びます。生き延びるためにただ掴む――それは動物的な“生存本能”です。
「これは救い」ではなく「これは逃げ道だ」と反応する。それが畜生道のカンダタです。
天道 ― 希望と歓喜の瞬間
糸を登りはじめ、「助かるかもしれない」と思ったカンダタ。心に一瞬の安らぎと幸福が訪れます。
この心は天道(神や天人が住む幸福な世界)の状態。しかし天道は永遠ではなく、次の迷いの種を内包しています。
餓鬼道 ― 貪りと独占欲
糸を登る途中、下から他の罪人が登ってくるのを見て叫びます。
「こら、俺の糸だ!下りろ、下りろ!」
ここでカンダタの心は貪りに支配されます。「自分だけ助かりたい」「他人を蹴落としてでも生きたい」。まさに餓鬼道(飢えと執着の世界)です。
修羅道 ― 比較と怒り
他の罪人に対して優越感を持ち、争うような心。「俺はあいつらとは違う」と思う。
この心は修羅道(戦いと嫉妬の世界)です。他者と比べる心が、慈悲を遠ざけていきます。
人間道 ― 自覚と葛藤
糸を掴み登る中で、カンダタはわずかに反省を思い出します。
「あのとき蜘蛛を助けたから、糸が垂れたのかもしれない」
これは人間道(善悪を知り、迷いながらも選ぶ心)。人間は地獄でも天でもなく、その中間に立ち、常に選択し続ける存在です。しかしカンダタはその選択を誤り、「独善」へと傾いてしまう――。
再び地獄道 ― 慈悲の喪失と墜落
「自分だけ助かりたい」と叫んだ瞬間、糸は切れ、カンダタは再び地獄へ。
糸が切れたのは、お釈迦様の怒りではなく、慈悲が届かなくなった瞬間です。慈悲(他者への思いやり)が断たれた時、救いの縁も切れる。
六道を一巡し、再び苦しみへ戻る――これが輪廻そのものです。
蜘蛛の糸は本当にバッドエンドなのか?
『蜘蛛の糸』は、カンダタが救われるとか陥れられるという話ではなく、六道を一度に巡る「心の修行譚」という見方もできます。
結局地獄道に落ちてしまうのでバッドエンドではあるものの、ある意味人間の生き方、輪廻転生の縮小版のようにも読めます。
蜘蛛の糸・カンダタが元ネタのマンガ
『蜘蛛の糸』やカンダタのモチーフは、現代のマンガ作品にも登場します。
『聖☆おにいさん』
2巻 その14 聖地巡礼
『聖☆おにいさん』でカンダタは比較的よく登場するキャラクターですが、この巻で初登場を果たします。
いつも通り、キリストとブッダのほのぼのな日常をほっこり眺めていると、いきなり出てくるので油断ができません。
3巻 その21 Oh! そうじ
ここで出てくるカンダタのタイミングよ…
蜘蛛の糸のあらすじや、六道輪廻の内容を知った後に読むと、なんともいえない気持ちになります。
他にもカンダタはちょくちょく登場しては、いじらしい姿を見せてなんともいえない気持ちにさせてくれるマスコットキャラクターのような存在です。
『鬼灯の冷徹』
カンダタが出てくるわけではありませんが、『鬼灯の冷徹』は地獄を舞台にしているため、あちこちに地獄の説明がされています。
カンダタのいる地獄は原作では明確に書かれていませんが、「業火に焼かれる」という描写は阿鼻地獄からイメージできます。
『鬼灯の冷徹』では阿鼻地獄を始め、さまざまな地獄について解説されており、勉強になります。また、餓鬼道が地獄とはまたちょっと違う、などのマニアックな知識も得られます。
まとめ
『蜘蛛の糸』は、芥川龍之介が描いた短編で、地獄に落ちた悪人・カンダタがたった一度の善行で救済の糸を差し伸べられる物語です。しかし、独占欲や欲に駆られる心が原因で糸は切れ、再び地獄に落ちてしまいます。
仏教的に見ると、カンダタの心の動きは六道輪廻を巡る旅のように読み解くことができます。地獄道から畜生道、天道、餓鬼道、修羅道、人間道と心理の変化を追うことで、私たち自身の心の迷いや選択を反映しているとも言えます。
また、この物語は現代のマンガにも影響を与えています。『聖☆おにいさん』ではカンダタがコミカルに登場し、元ネタを知っていると「なるほど!」とニヤリとできる演出が楽しめます。『鬼灯の冷徹』では地獄や六道の描写を通して、カンダタの世界を想像するヒントがちりばめられています。
短編ながら、心の在り方や仏教的な教え、さらに現代マンガへの影響まで広がる『蜘蛛の糸』。こうした知識を知っておくと、マンガを読むときの楽しみがぐっと増えるはずです。

