「山場を用意しているのに、盛り上がらない」
「クライマックスのはずなのに、パッとしない」

物語が前に進んだ感じがしない

山場を“出来事の大きさ”で作ろうとしているからかも知れません。
敵を強くする、被害を拡大する、状況を派手にする……
どれも間違いではありません。
しかし、それだけでは山場は「機能」しません。
なぜなら、山場とは、出来事ではなく「試練」だからです。
- 漫画や小説を創作しているクリエイターさん
- 山場を書いているのに盛り上がらない
- 大きな事件は起きているのに、物語が前に進んだ実感がない
- 主人公が「頑張った」「勝った」だけで終わってしまう
- 試練や成長を、出来事ではなく物語構造として理解したい
山場が軽く見える物語に共通する問題

山場が盛り上がらない物語の多くは、「山場そのものが弱い」のではありません。
山場で起きるべきことが、起きていないだけです。
山場が軽く見えてしまう物語に共通する問題を具体的に分解して見ていきましょう。
主人公が「頑張った」だけで終わっている
主人公が「頑張った」だけで終わっている山場には、次のような特徴があります。
- 強敵が現れる
- 主人公が苦戦する
- 気合や努力で乗り切る
- 勝利する
一見、山場として成立しているように見えます。
しかしこの構造では、主人公は何も選んでいません。
やっているのは、「耐える」、「攻撃する」、「乗り切る」という「作業」だけです。
読者は「大変だったね」とは感じますが、「この経験で何かが変わった」とは感じません。
勝敗はついたのに、主人公の行動が変わらない
注目すべきは、山場の前後です。
山場を越えたあと、主人公は次のような状態になっていないでしょうか?
- 山場を越えても同じ考え方
- 山場を越えても同じ判断基準
- 山場を越えても同じ行動をしている
もし、「また同じ状況になったら、この主人公は同じ選択をしそうだ」と感じるなら、その山場は物語に影響を与えていません。
重要なのは、勝ったか負けたかではなく、主人公の行動原理が変わったかどうかです。
山場の前後で「判断基準」が更新されていない
山場とは、主人公が 「これまでの考え方では通用しない」 と突きつけられる場面です。
ところが山場が軽いと、最初から最後まで変わりません。
- 危険へ突っ込む
- 力で押し切る
- 成長がない
どれだけ敵が強くても、判断が同じなら物語は前に進みません。
物語のテーマが深まっていない
山場を越えた時、「で、この物語は結局、何の話なんだろう?」と読者は疑問に思います。
良い山場を越えると、物語の意味が一段階、深くなります。
- 生き残る話 → 責任を引き受ける話
- 強くなる話 → 強さの使い方の話
- 勝つ話 → 失うことを選ぶ話
しかし山場が軽いと、山場の前後で状況が変わりません。
出来事は増えたのに、物語の芯が変わっていない状態です。
「元に戻れてしまう」山場になっている
最後に、決定的な問題があります。
それは、山場を越えても、元の状態に戻れてしまうことです。
- 次の話では、すべてがリセットされている
- 人間関係の衝突がなかったことになる
- 大きな決断をしたはずなのに、影響が残らない
この状態では、山場はただの「大きなイベント」にすぎません。
問題は「試練の多さ」ではなく「試練の型」にある

じゃあ、どうしたらいいんだろう?

山場を「物語を動かす型」として見てみましょう。
ここで大切なのは、山場が多い=物語が深くなるわけではない、という点です。
実際、試練が繰り返し描かれていても、物語が単調に感じられる作品は少なくありません。
それは試練そのものが悪いのではなく、
試練が「物語を動かす型」として使われていないからです。
型がしっかりしている物語には、
「その試練を、どう引き受けるのか」
「その選択の結果、何者になるのか」
に重心が置かれています。
たとえば、『鬼滅の刃』を例に見てみましょう。
竈門炭治郎は、家族を鬼に殺され、妹を人間に戻すという目的を背負って物語を歩み始めます。
物語が進むにつれて、炭治郎は剣士として成長し、強敵との戦いを幾度も乗り越えていきますが、『鬼滅の刃』の焦点は「どれだけ強くなったか」には置かれていません。描かれているのは、誰を救うために、何を背負い続けるのかという試練です。
鬼を倒すたびに、炭治郎は鬼になった理由や、失われた人生に触れ、「敵を斬る」という行為の重さを引き受けていきます。
戦いに勝つことは終点ではなく、他者の痛みを知ったうえで、それでも刃を振るう覚悟を更新し続けることが、炭治郎に課された試練なのです。
だから『鬼滅の刃』では、勝利の数が増えるほど、物語は軽くなるどころか、むしろ重みを増していきます。
試練を越えるたびに、炭治郎は「優しいだけの少年」には戻れなくなる。この戻れなさこそが、『鬼滅の刃』が試練として機能している最大の理由です。
『進撃の巨人』も例に見てみましょう。
エレン・イェーガーは、巨人に母を殺され、「すべての巨人を駆逐する」という強烈な目的を胸に物語を歩み始めます。
物語が進むにつれて、エレンは巨人の力を持つ存在となり、人類側でも屈指の切り札へと変わっていきますが、『進撃の巨人』の焦点は「どれだけ強大な力を持ったか」にはありません。
描かれているのは、自由を求めた結果、何を壊し、何を背負うことになるのかという試練です。
戦いを重ねるほど、エレンは世界の構造、敵と味方の曖昧さ、そして自分自身が憎んできた存在に近づいていく現実を知っていきます。
敵を倒すことは解決ではなく、選び続けた結果として、もう後戻りできない立場に立たされていくことこそが、エレンに課された試練なのです。
だから『進撃の巨人』では、力を得るほど物語は爽快になるどころか、選択の重さと犠牲の大きさが積み重なっていきます。
試練を越えるたびに、エレンは「復讐に燃える少年」には戻れなくなる。この戻れなさこそが、『進撃の巨人』が試練として強烈な印象を残す理由です。
「出来事」ではなく「試練」が物語を前に進める
試練には、共通する構造があります。
- 試練を「勝てるかどうか」で終わらせない
- 力や努力では答えが出ない問いを用意する
- 主人公の選択が、その後の立場を変えてしまう
単に「困難を用意する」だけでは、物語はすぐに平坦になります。
重要なのは、その困難が主人公に何を背負わせるかを設計することです。
この違いを生んでいるのが、試練を“イベント”として扱っているか、“物語の構造”として扱っているかの差です。
山場が軽く見えてしまう物語では、「強敵が出てくる」、「苦戦する」、「なんとか勝つ」という流れはあっても、その経験によって主人公の判断基準や立場が変わりません。
試練を越えても、主人公が同じ場所に立ったままなのです。
そこで参考になるのが、古代神話から現代作品まで受け継がれてきた試練を克服する型です。
試練は、もともと「困難を乗り越える話」ではありません。
試練を通して、主人公が“元には戻れない存在”になる過程を描くために、磨かれてきた構造なのです。
だからこそこの型を意識すると、山場は単なる盛り上がりではなく、物語そのものを前に押し出す装置として機能し始めます。
変化を物語に刻み込む「試練」の型

物語の中で、主人公が試練に直面し、それを越えていく展開は、神話から現代作品まで繰り返し使われてきました。
こうした「試練を引き受け、乗り越えることで立場や在り方が変わっていく物語」には、共通する構造があります。
本記事ではこの構造を 「試練克服譚」 と呼ぶことにします。
「試練克服譚」は一般的に定着している言葉ではありません。物語の型を説明するための呼び名として、ここでは「試練克服譚」という言葉で進めます。
主人公が困難に直面し、試練を引き受け、その過程で価値観や立場を変えていく物語構造のこと。
重要なのは、試練克服譚は「困難に勝つ話」を描く型ではないという点です。
この型で描かれるのは、試練を通して、主人公が何を選び、何を背負うことになったのかというプロセスです。
- 逃げられない問いに直面すること
- どちらを選んでも代償が生じる状況に置かれること
- その選択によって、元の場所には戻れなくなること
主人公が最終的に成功しても、あるいは強大な力を手に入れたとしても、物語として強く印象に残るのは、試練によって主人公の在り方が更新されているからです。
試練克服譚とは、出来事を積み重ねるための型ではなく、変化を確実に物語へ刻み込むための型なのです。
試練克服譚の基本構造
試練克服譚を創作に取り入れるとき、難しい理論や専門用語を覚える必要はありません。
まずは、次のシンプルな流れを意識するだけで十分です。
① 課題の提示(なぜこの試練に挑むのか)
② 挑戦と失敗(うまくいかない経験)
③ 再挑戦(力の獲得や仲間の支援)
④ 試練の突破 → 新たな段階へ
特に重要なのは、②挑戦と失敗です。
試練克服譚では、最初の挑戦が簡単に成功することはほとんどありません。
- 努力しても届かない
- 覚悟が足りず、退くしかない
- 力や想いが噛み合わない
この「失敗」があるからこそ、③再挑戦に意味が生まれます。
再挑戦では、単なるレベルアップではなく、
- 覚悟の変化
- 価値観の更新
- 仲間との関係性の変化
といった内面的な成長が伴います。
そして④試練の突破は、「敵に勝った」「課題を解決した」で終わりません。
試練を越えた主人公は、試練に挑む前とは違う段階に立っているのです。
この“段階の変化”こそが、試練克服譚が読者の心に残る理由です。
神話における試練克服譚の代表例を見てみましょう。
ギリシャ神話:ヘラクレスの場合

試練克服譚の基本構造
① 課題の提示(試練の理由)
ヘラクレスはゼウスの子として生まれ、並外れた怪力を授かります。
しかしその力は祝福ではなく、女神ヘラの呪いによって狂気に襲われ、家族を手にかけるという過ちを犯してしまいます。
この罪を償うために課せられたのが、王エウリュステウスの命令による「十二の功業」です。
ヘラクレスの試練克服譚は、「なぜこの試練を背負わなければならないのか」という、極めて重い課題提示から始まります。
それは名誉や栄光のためではなく、過去の過ちと向き合い、責任を引き受けるための試練でした。
② 挑戦と失敗(成長の契機)
十二の功業に立ち向かうヘラクレスは、生まれながらの怪力を武器に、次々と試練へ挑みます。
しかし、試練は単純な力比べではありません。
- 武器が効かないネメアの獅子
- 首を切るほど増えるヒュドラ
- 力ではどうにもならない厩舎の汚泥
ヘラクレスは何度も、「力を振るうだけでは解決できない壁」にぶつかります。
怪力という最大の強みが、そのままでは通用しない場面が繰り返されることで、彼は自分の力の未熟さと向き合うことになります。
③ 再挑戦(力の獲得や仲間の支援)
失敗を経たヘラクレスは、単に力を増すのではなく、力の使い方を変えていきます。
- 女神アテナの助言を受け入れる
- 仲間の協力を得る
- 状況に応じた工夫や戦略を用いる
- 獅子の毛皮や毒矢など、力を制御するための装備を得る
ここで重要なのは、ヘラクレスが「一人で全てを背負う英雄」から変化していく点です。
怪力を振るう行為そのものではなく、 力をどう扱うべきかを学ぶ過程として描かれています。
④ 試練の突破 → 新たな段階へ
すべての功業を成し遂げたヘラクレスは、罪を償った英雄として認められます。
この突破は、単に試練を終えたという結果ではありません。
力に振り回されていた存在から、試練を引き受け、制御し、意味を与えられる存在へと段階そのものが変化しているのです。
最終的にヘラクレスは、人としての苦難を超え、英雄として、そして神へと昇華していきます。
ヘラクレスの神話は、
課題の提示 → 挑戦と失敗 → 再挑戦 → 試練の突破と変化
という、試練克服譚の基本構造を非常にわかりやすく示しています。
生まれながらに最強クラスであっても、試練を通して描かれることで、その強さは単なる能力ではなく、「背負い、向き合い、乗り越えるべきもの」として物語化されるのです。
試練克服譚とは、強さを誇示するための型ではなく、強さに意味を与えるための物語構造だと言えるでしょう。
日本神話:コノハナサクヤヒメの場合

試練克服譚の基本構造
① 課題の提示(試練の理由)
コノハナサクヤヒメは、山の神オオヤマツミの娘であり、天孫ニニギノミコトの妻となった女神です。
しかし結婚直後、彼女は身ごもったことで、ニニギから「自分の子ではないのではないか」という 疑いをかけられてしまいます。
神の子を宿す存在でありながら、その純潔と正当性を疑われる―― ここに、コノハナサクヤヒメの試練が提示されます。
この試練は、外敵や暴力ではなく、信頼を失った状況で、自身の存在価値をどう証明するか
という、極めて内面的で逃げ場のない課題です。
② 挑戦と失敗(成長の契機)
疑いをかけられたコノハナサクヤヒメは、言葉で弁明する道を選びません。
代わりに彼女が選んだのは、自ら戸のない産屋に入り、火を放った中で出産するという行為でした。
これは一歩間違えば、命を落としかねない、極端な選択です。
この段階では、彼女はまだ「信頼を回復できるかどうか」さえ確証を持てません。
むしろ、自らの存在そのものを賭けるしかない状況に追い込まれています。
ここで描かれるのは、試練に対して合理的に勝とうとする姿ではなく、失敗すれば全てを失う覚悟を引き受ける姿です。
③ 再挑戦(力の獲得や仲間の支援)
火の中での出産という行為は、単なる自己犠牲ではありません。
それは、「神の子であるならば、火でも害されない」という神話的な論理に基づいた、存在そのものを使った再挑戦です。
ここでコノハナサクヤヒメは、武器や仲間、外部の助けに頼ることなく、自らの神性と覚悟だけを拠り所にします。
再挑戦によって得られるのは、新たな能力ではなく、疑いを超えて成立する正当性です。
力を増すのではなく、「疑われる存在」から「証明された存在」へと立場が変化していきます。
④ 試練の突破 → 新たな段階へ
炎の中で無事に三柱の神を産んだことで、コノハナサクヤヒメの潔白は完全に証明されます。
この試練の突破は、単に疑いが晴れたという結果にとどまりません。
彼女はここで、天孫の妻という立場を超え、命を生み、系譜をつなぐ女神としての役割を確立します。
同時に、この神話は「人の命が儚い存在である理由」も語ります。
コノハナサクヤヒメが人の世に降りたことで、
人間の命は花のように短くなったとされるのです。
試練を越えた結果、彼女は個人としての立場だけでなく、世界の在り方そのものに影響を与える段階へと進みます。
コノハナサクヤヒメの神話は、
課題の提示 → 命を賭けた挑戦 → 存在そのものによる再挑戦 → 正当性の確立と役割の固定
という、試練克服譚の構造を備えています。
この物語では、強さや戦闘は一切描かれません。
それでも試練克服譚として成立しているのは、
試練が「敵」ではなく、疑い・不信・立場の不安定さとして設定されているからです。
試練克服譚とは、必ずしも力で勝つ物語ではありません。
存在を賭けた選択を引き受けることで、物語の段階を更新する型なのです。

試練といっても、必ずしも戦う話だけじゃないんだね。

そうなんです!
バトルものだけでなく、地位や名誉を守る、心の成長するなどの出来事にも、試練は不可欠なんです。
もっと試練克服譚について学びたい方へ
ここで扱ったヘラクレスやコノハナサクヤヒメの神話構造は、「どのように山場を設けて物語に深みを与えるか」応用できる要素が豊富に含まれています。
note 【神話×漫画】創作のための神話構造分析では、神話と漫画を創作視点分析しています。ぜひ覗いてみてください。
人気マンガ・アニメに見る試練克服譚
試練克服譚は、神話だけでなく、
現代のマンガやアニメにも広く使われています。
大切なのは、試練克服譚が「強くなる話」そのものではなく、試練を通して、強さや立場に意味を与える構造だという点です。
人気作品では、戦いや成長が必ず「試される局面」と結びついています。
その試練を越えたとき、主人公は以前と同じ場所には立っていません。
ここから、現代作品を試練克服譚として見ていきましょう。
『鬼滅の刃』を試練克服譚として読む
試練克服譚の基本構造
① 課題の提示(試練の理由)
家族を鬼に殺され、妹・禰豆子が鬼へと変えられたことで、炭治郎は否応なく試練の前に立たされます。
「妹を人間に戻すこと」「鬼と戦い続けること」は、望んで選んだ夢ではなく、逃げることのできない課題として与えられたものです。
② 挑戦と失敗(成長の契機)
鬼殺隊として戦い始めた炭治郎は、何度も圧倒的な力の差に打ちのめされます。
守りきれない命、届かない剣、間に合わなかった判断。
努力だけでは越えられない現実が、彼の未熟さを突きつけます。
③ 再挑戦(力の獲得や仲間の支援)
修行を重ね、善逸や伊之助といった仲間と支え合いながら、炭治郎は再び試練に向き合います。
この再挑戦で得られるのは、単なる技の強化ではありません。
恐怖や怒りの中でも、他者を思い続ける姿勢そのものが、彼の力になっていきます。
④ 試練の突破 → 新たな段階へ
炭治郎は、鬼を倒しながらも、彼らが背負っていた悲しみや後悔から目を逸らしません。
試練を越えるたびに、彼は「勝つ剣士」ではなく、苦しみを引き受けて前に進む存在へと変化していきます。
『鬼滅の刃』は、力を得る物語ではなく、繰り返し与えられる試練にどう向き合い、どんな在り方を選び続けるのかを描いた、試練克服譚の構造が明確に表れている作品です。
『鋼の錬金術師』を試練克服譚として読む
試練克服譚の基本構造
① 課題の提示(試練の理由)
幼い頃に母を失ったエドワードとアルフォンスは、禁忌である人体錬成に手を出し、取り返しのつかない代償を支払います。
失われた身体を取り戻すこと、そして自分たちの過ちと向き合い続けることは、彼らが自ら招いたものであり、逃げることのできない試練として背負う課題です。
② 挑戦と失敗(成長の契機)
賢者の石を求めて旅をする中で、兄弟は数多くの戦いや陰謀に巻き込まれます。
力不足による敗北、救えなかった人々、正しいと思って選んだ行動が新たな犠牲を生む現実。
知識や才能だけではどうにもならない世界が、彼らの未熟さを突きつけます。
③ 再挑戦(力の獲得や仲間の支援)
エドは錬金術の理解を深め、アルは仲間たちとの絆を強めながら、再び試練に立ち向かいます。
ロイやウィンリィをはじめとする仲間の支えによって、彼らは「一人で背負わない」という選択を学んでいきます。
この再挑戦で得られるのは、力の強化ではなく、等価交換の意味を引き受ける覚悟です。
④ 試練の突破 → 新たな段階へ
最終的にエドは、「すべてを取り戻す」道ではなく、自分にできる範囲で世界と折り合いをつける選択をします。
試練を越えることで、彼は「全能を求める錬金術師」ではなく、限界を知ったうえで前に進む人間へと変化していきます。
『鋼の錬金術師』は、失われたものを力で奪い返す物語ではなく、過ちと代償を抱えたまま、どう生き直すかを問い続ける、極めて王道な試練克服譚です。
試練克服譚は「そのまま使う」だけではない

ここまで見てきたように、試練克服譚は明確な骨格があります。
多くの王道作品は、この流れを素直になぞることで、試練 → 成長 → 突破という分かりやすい物語を描いています。
しかし現代の作品では、この試練克服譚をあえて正面から描かない、「崩し」のケースも増えています。
崩しとは、試練を描かなくなることではありません。試練の置きどころや意味づけを、意図的に変える手法です。
- 試練を越えても救われない
- 試練の目的が極端に小さい
- 試練を越えても成長しない
- 試練そのものが誤っている
- 試練が日常的に起きて消耗する
型を壊しすぎるではなく、型のどの部分を壊すか選び取るのが大切です。
崩しが成立している作品ほど、「この物語では、何が試練なのか」が明確です。
この視点で見ると、最強主人公でありながら高い支持を得ている
『進撃の巨人』や『チェンソーマン』が、なぜ試練克服譚としても成立しているのかが、よりはっきりと見えてきます。
『進撃の巨人』を試練克服譚の「崩し」として読む
試練克服譚の基本構造(崩し)
① 課題の提示(試練の理由)
巨大な壁に囲まれ、自由を奪われた世界で、エレンは「外の世界へ行く」という強烈な渇望を抱きます。
母を巨人に殺された体験によって、その想いは復讐と結びつき、「巨人を駆逐する」という単純で分かりやすい課題が提示されます。
ここまでは、極めて王道の試練克服譚の導入です。
② 挑戦と失敗(成長の契機)
訓練兵として、兵士として戦場に立つエレンは、仲間の死や自らの無力さを何度も突きつけられます。
理想と現実の落差、守れなかった命、報われない努力。
この段階では、失敗を通じて強くなっていくという、従来の試練克服譚の流れがまだ保たれています。
③ 再挑戦(力の獲得や仲間の支援)
巨人化能力を得たエレンは、物語構造上「再挑戦」の段階に進みます。
しかしここで、『進撃の巨人』は試練克服譚を崩し始めます。
この力は希望ではなく、人類からも巨人からも疑われ、孤立を深める原因となっていきます。
力を得るほど、仲間との距離は広がり、試練は「越えるもの」ではなく「背負い続けるもの」へと変質します。
④ 試練の突破 → 新たな段階へ(のはずが…)
物語後半、エレンが直面する試練は、敵を倒すことでも、世界を救うことでもありません。
「自由のために、どこまで壊すことを選ぶのか」という問いそのものです。
ここでは、試練を突破して次の段階へ進むのではなく、進めば進むほど、後戻りできない立場に追い込まれていきます。
『進撃の巨人』は、試練を乗り越えるたびに成長する物語ではありません。
試練を越えた結果、世界との断絶が深まっていく物語です。
王道の試練克服譚の骨格を使いながら、「試練を越えれば救われる」という前提そのものを崩す。
それこそが、『進撃の巨人』という作品の試練克服譚における最大の特徴です。
『チェンソーマン』を試練克服譚の「崩し」として読む
試練克服譚の基本構造(崩し)
① 課題の提示(試練の理由)
極貧の生活と多額の借金を背負い、デビルハンターとして命を削る日々を送るデンジは、「普通の生活をしたい」という、あまりにもささやかな欲望を抱いています。
父の死と借金という逃げ場のない状況が、生き延びるために戦うしかない課題として彼の前に突きつけられます。
導入自体は、試練に放り込まれる王道の構造です。
② 挑戦と失敗(成長の契機)
デンジは悪魔と戦いながら、何度も命を落としかけます。
仲間は簡単に死に、努力や覚悟が報われる保証はありません。
試練は彼を成長させる契機というより、感情や判断をすり減らしていく消耗戦として描かれます。
ここでは、「苦難を越えて強くなる」という前提が早くも揺らぎ始めます。
③ 再挑戦(力の獲得や仲間の支援)
チェンソーマンとしての力を得たデンジは、確かに戦闘能力を高めていきます。
しかしその力は、自立や理解には結びつきません。
マキマをはじめとする周囲の大人たちに導かれ、利用され、自分で選んでいるつもりの行動が、実は選ばされているものだったことが明らかとなっていきます。
力の獲得は、再挑戦の手段ではなく、支配を強める装置として機能します。
④ 試練の突破 → 新たな段階へ(のはずが…)
物語が進むにつれ、デンジが向き合う試練は、
「敵を倒すこと」ではなく、自分の欲望や感情が、どこまで他人に規定されていたのかという問いに変わります。
試練を越えた先にあるのは、達成感や帰還ではなく、空白や喪失、そして自分で考えることを迫られる地点です。
『チェンソーマン』は、試練を乗り越えて英雄になる物語ではありません。
試練の中で「考える力」や「選ぶ主体」を奪われていく物語です。
王道の試練克服譚の枠組みを借りながら、「試練は人を成長させる」という前提そのものを疑い、裏切る。
それが、『チェンソーマン』における試練克服譚の崩し方です。
『進撃の巨人』と『チェンソーマン』の試練英雄譚は、試練を「乗り越えれば成長や救いに至るもの」とせず、進むほどに選択が過酷になり、失うものが増えていく構造として描いています。
試練英雄譚の形を借りながら、努力や選択が必ず報われるとは限らない現実を描くことで、現代の読者が感じる不安や息苦しさを映し出す物語になっています。
山場の書き方に困ったとき、具体的にやるべきこと
山場が弱い、盛り上がらないと感じるとき、 「演出」や「展開」の問題だと思われがちです。
しかし試練克服譚の視点で見ると、問題はもっと手前にあります。
山場で「何を失う可能性があるのか」を決める
まず決めるべきは、勝敗ではありません。負けたら何が失われるのかです。
- 命や仲間
- 信頼や居場所
- これまで信じてきた価値観
失うものが具体的であるほど、山場は軽く見えなくなります。
主人公が「迷う理由」をはっきりさせる
山場とは、「やれば勝てること」ではありません。
- 進めば誰かを傷つける
- 戦えば、もう戻れなくなる
- 正解が存在しない選択を迫られる
こうした迷いがあるからこそ、山場は単なるイベントではなく、決断の場面になります。
山場を越えたあと、何が変わるのかを先に決める
山場は、そこで終わりではありません。
- 以前と同じ判断ができなくなる
- 関係性が変わる
- 物語の向かう方向がずれる
この「変化」を先に決めておくと、山場は物語の途中経過ではなく、物語を押し進める装置として機能します。
山場の書き方に迷ったら、派手さを足す前に、試練・選択・変化の3点がそろっているかを確認してみてください。
それだけで、山場は「盛り上げる場面」から、物語が動く核心部分へと変わっていきます。
まとめ:山場の書き方に迷ったら、試練克服譚で考える
「山場を書いたはずなのに、盛り上がらない」
「越えた感じがしない」
そう感じたとき、演出や敵の強さを足す必要はありません。
重要なのは、山場をどう派手に描くかではなく、物語の中で何が変わったかです。
試練克服譚の視点で見ると、山場とは単なるクライマックスではなく、主人公が逃げられない課題に向き合い、選択を迫られる地点だと分かります。
- なぜ、その試練から逃げられないのか
- 一度の挑戦では、なぜ失敗するのか
- 何を得て、何を引き受けて再挑戦するのか
これらを整理すると、山場は「出来事」ではなく、主人公の立ち位置が変わる瞬間として立ち上がります。
山場の書き方に悩む原因は、技術や表現力の不足ではなく、 山場を物語構造として捉えていないことにあります。
試練克服譚という型を使えば、山場は自然と物語の芯に組み込まれ、読者にとって意味のある経験へと変わっていくはずです。

クリエイター向け創作のヒント
ここまで見てきたように、神話的な物語構造は、現代の漫画やアニメにも形を変えて受け継がれています。
note 【神話×漫画】創作のための神話構造分析では、こうした神話キャラを「現代作品に落とすとどう機能するか」という視点で、神話キャラクター別に分析しています。
「神話 × 漫画 × キャラクター設計」を効率的に調べられるため、創作にかかる調査時間を大幅に削減できます。ぜひ活用して下さい。

